しんどい毎日をなんとかやってく

 ADHDと適応障害に悩んでたら、ライターになってた人のブログ

世界でもあまり類を見ない悩み

 任意入院二十二日目。
 もとい一時帰宅一日目の予定です。

 外出・外泊届けも出して、準備万端です。
 最後に病院の敷地内をお散歩してきました。
 今日は、お花を飾りながら書きます。

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 おやつどきにお迎えが来るので、これでなんとかお家に帰れます。
 取りあえずパソコンとベッドは恋しいです。
 最後のお昼は、おそばでした。

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 おそば、つゆ、野菜と鶏肉のあぶり焼き、フルーツの缶詰め。
 ずっと紹介したかった麺類です。病院でもラーメンやうどん、出るんですよ。
 のびないようにスープがいつも分かれています。かけて食べます。
 おつゆの光沢すごくて白い縦線になってますね。


入院ばかりしていると曜日感覚が狂う

 世間はゴールデンウイークでしたか。
 なんだかすっかり、休日も平日も無いような生活をしていたので、日常に戻るのが大変そうです。
 一日・二日は営業しているところもあるようですが、有休とって思いっきり休む人も、きっといるでしょうね。

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 だらけがちの入院中も、このブログの更新が気力を維持してくれました。
 こんな辛気くさいブログを読みに来てくれた人たちには、感謝しかありません。
 二日前、はてなの定期読者さんが百人に達しました。ありがとうございます。

頼りになるかならないかに、発達障害は関係ない

 ADHDや自閉症スペクトラムは、一般的に頼りないと言われます。
 おっちょこちょいで融通が利かない所はあるんですが、人を思う感情はあります。
 我が家のダメでダメで、どうしようもない例ですが、こういう事例もあります。

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 両親は二人とも、親が早死にした同士で結婚した夫婦で、人の話を聞かないので、あまり頼りになりませんでした。
 我が家の口癖は「親が早死にして苦労した」です。こんな辛気くさい家では、できる相談もできません。

 母などは、兄(私から見て叔父)も病気で亡くしているので「家族がみんな病気になって、私かわいそう」とよく言っていました。
 いま目の前にある、自分と自分の家族の健康を大切にするより、とにかく不幸な悲劇のヒロインみたいなことばかり言ってきます。
 父は同情して、やたら母の肩ばかり持ちます。
 そして極めつけに私に向かって二人は「お前は親が居るだけでも幸せだな」と言ってきます。

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 親戚の家に行っても、やたら親戚から「お前は幸せだな」と親のおじさんおばさんたちから言われます。
 親が早死にして苦労した良い子と言われ、私の両親は頷きますが、私はどう言ったいいやらわかりません。
 親が死んだことを言い訳にして責任逃れしたり「こっちは親が死んで苦労しているんだからお前も我慢」と、しなくていい苦労をさせてくるので、素直に同情できないのです。
 私の中学の頃のいじめも、そうやってごまかされました。会社のいざこざも、最初は真面目に聞いてもらえませんでした。

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 学生の頃は何か相談しようとしても、悔しそうに私を見て「お前なんて何の苦労もしていないくせに」と決めつけて、二人とも話も聞こうとしませんでした。
 なんで親自身から、両親が揃っていることを妬まれないといけないのでしょうか。こんなおかしな悩みを持っている人なんて、私ぐらいのものです。
 ちなみに母は、我が家で唯一のまともな人間、らしいです。医学的には、ですが。

看護師の親から看病拒否された話

 入院前に、私が会社でのパワハラと過労で意識がもうろうとしながら、看病をお願いしたら「家事やってやるのが看病だ!」と一蹴されました。
 ちなみに母の職業は、看護師です。優しさに職業は関係ないようです。

 あまりにもひどいので怒ったら、看病拒否して仕事を優先し、私を悪者のように言って、よそにアパートを借りて、夜逃げしていたこともあります。
 私が外傷もないので、甘えてきたと思ってうっとうしくなったようです。
 そうすれば私が反省して謝ってくるとでも思ったようですが、そんなことで看病してくれなんて、三十過ぎの大人が言う訳ありません。
 ちなみに瀕死でした。
 母は半年後に、疲れた顔で戻ってきました。

補足

 ちなみに、病気の家族を放置したり、救急車を呼ぶのを拒否したりすると、保護責任者遺棄罪に問われて、家庭裁判所沙汰になる恐れがあります。
 良い子はうかつに真似してはいけません。
 裁判にならなかったとしても、家族間に亀裂が入ります。

家族ってなんだろう

 父は母の味方になって「お前のせいで母さんが出てった」と、なじってきました。ちなみに、母の家出を許可して、荷物の持ち出しに協力したのも、父です。
 いやなら止めれば良かったのに、逆らえなかったんでしょうね。
 というか、家出したかったのは私です。具合悪くて動けませんでしたが。

 病院に連れて行く発想も湧かない、地獄絵図の出来上がりです。
 軽く死にたくなるような情けない様子です。
 私は生き地獄だったので、結局のところ、親戚の九十近いのおばあさんに相談して、病院に付き添ってもらいました。
 ちなみに過去の記事で言及しましたが、このときやっと、ADHDが発覚しました。
 過去記事はこちらです。

www.sndimint.net

他の問題があるとADHDどころの話ではなくなる

 私は、ただでさえ暮らしにくいADHDで、しかも適応障害が出ているのに、具合悪いと言っているのに、母はどうでもいい換気扇の掃除や年賀状づくりばかり要求してきました。
 別に特別扱いしろと言うわけじゃあ、ありません。
 具合悪くて苦しがってる家族を助ける、という当たり前の感情が、なぜかここぞというときに、うちの母からは抜け落ちるのです。
 父や私が苦しがっていても、救急車一つ呼んでくれたこともないし、車で病院に連れて行こうという発想すら、なかなか湧かないようでした。
 看護師なのに、不思議ですね。

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 自分が指を深く切ったときには、パニックを起こして「助けて助けて」と言ってくるので、私が当直医を調べて、私がタクシーを呼んで、私がつきそって、私が病院のロビーで待っていました。
 似たようなことは他にもありますが、書くのもうんざりするようなことも多いです。

過去の不幸話ばかりすると現在も不幸になってくる

 実は入院中、週に二日だけ、洗濯物を届けてもらうに留めていたのも、母の仕事だけが理由ではありません。
 「お見舞い行くの大変だった。苦労した」と言われたくなかったからです。
 昔から、早死にした親のお見舞いに行っていことを「看病していた」と言われながら育ったので、私は嫌です。

 十代の頃に死んだ親のことを、五十過ぎになってもまだ言っていた様子なんて、同情を通り越してうんざりするだけです。
 ちなみに私が小学校の頃からです。
 二人がかりで「苦労した苦労した」と言ってきたのは、小学生の一人っ子が背負うにはあまりにも重いです。

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 現在の幸せを大切にしないと、持っていたものまで失うことになります。
 一度冷静になって、現在をしっかり見つめることの方が、大事だと思うんです。

 一人っ子で両親が揃っていると聞くと、甘やかされて育ったように思われそうですが、蓋を開けてみれば、こうです。
 他人の家の中って、なかなかわからないものですね。
 自分でも書いていて、嘘みたいな話だと思うんですが、こういうこともあります。

 ちなみに今日、迎えに来てくれるのは、母です。
 最近は少し丸くなってきました。分かってきてくれたみたいです。
 病院の近所のお弁当屋さんに、豚カツののり巻き弁当を二個予約しています。帰ったら、それを二人で夕飯にします。
 ボーロを売店でお土産に買いました。こう言うのなら好きだと思うので、二人で食べます。
 父の神棚にもお供えします。

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 家に帰ったら、落ち着いて書くのにも、もっと集中できそうです。大きいパソコンって、安心感がありますよね。
 何でもいいから平和に暮らしたいです。私に平和をください。

 では、また。
 藤の花、きれいですね。

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